高校2年と3年の頃、彼とは同じクラスで、同じ委員会だった。
初めて出会った時は、特に何とも思っていなかったの。
でも、気持ちが動いたのは、体育祭の直前に委員会の集まりがあった時。
同じ委員会の人が気になる
会議が始まる時間になっても、何故か委員長が来ない。
他の人も、1年生が2人集まっていたくらいで、委員会をやるはずの教室は寂しいことになっていた。
そのうち、1年生2人も教室を出て行ってしまい、彼と私は2人きりになった。
2人だけで、ほぼ2時間くらいその教室にいたかな。
当時の私は人間関係に悩むことが多く、人と話せなくなる症状があった。
そして、委員会で彼と2人きりになったその日は、その症状が少し落ち着いて回復に向かってる時期だった。
悩みについてはここでは詳しく書かないけれど、彼とちょっと話した時、「この人は敵じゃない」と察することができた。
お互いに少し緊張しながらも、楽しく話した気がした。
私にとっては、初めての心地好い緊張だったかもしれない。
まさか、その人がすごく好きな人になるとは、出会った頃には想像してなかった。
今から思えば、何で恋したのかわからない。
普段はあまり恋をしたいとは思わない方だが、その時期だけ恋愛願望が高まっていたのかもしれない。
青春の欠片が生まれた。
好きな人ができたかもしれない
彼と委員会で一緒だった頃、たまたま初恋の人を思い出していた時期でもあった。
私の初恋は、小学校高学年から中学時代まで。
ほとんど話すことはできなかったけど、目が合う回数は多かった。
卒業式で告白しようと思ってたけど、チャンスが掴めなかった。
その時、好きになった人が手に入らない辛さを初めて学んだ。
よく、「好きな人を見ているだけで幸せ」なんて言うけど、私はそんな大人な恋はできない。
初恋の人がいない(ついでに友達も少ない)高校一年生時代は虚しかった。
だから、初恋以降からは、恋をしたらアプローチする作戦は早めに練らなければならないと思った。
しかも、普段は初恋の人のことをあまり思い出さないのに、高校二年になって久しぶりに思い出したら、やっぱり辛かった。
早く忘れたかった。
いつもは恋をしたいと思わなかったけど、その時は新しい恋をしたい、と珍しく思った。
要約すれば、いろんな面で感情が不安定だったのである。
そんな状況だったから、委員会で男の子と二人っきりになって、「なんとなくドキドキした」だけでも恋に発展したのは必然だったのかもしれない。(それでも、付き合ってからの関係は7年半続いた。)
何故か彼と二人っきりで長時間過ごすことになった委員会の日は、結局、最後まで委員長が来なかった。
後から聞いた話によると、忘れていたらしい。
因みに、私達は放送委員だったのだが、全校の放送委員の中でどのクラスがどの行事で仕事をするかは、最初の会議で決まっていた。
私達の放送委員としての仕事は、年に一回しかない。(ちょー楽w)
その年は、体育祭の日だけが勤務日だった。
最初に放送委員を選んだのは、昔から声優さんに憧れていた影響で、なんとなく声を使う仕事がしたかったのと、できるだけ仕事量が少ない方が良かったから。
でも、彼と二人っきりで長時間過ごしたその日以来、仕事量が少ないことを残念に思った。
当時の私は人と話すことが苦手で、委員会の仕事でもないと、何を話しかければ良いかわからなかったのだ。
明らかに、彼のことを意識していた。
毎日ドキドキして、次に彼と話せる体育祭の日が楽しみで仕方なかった。
ただ、人と話すことが苦手だとドキドキすることはしょっちゅうあるので、そのドキドキが恋なのか、最初は慎重に考えていた。
自分の気持ちが恋だと確定させるまでに、時間がかかった。
恋じゃないのに、話す時に緊張していると、相手に「俺のこと好きなの?」と思われてしまうことは過去にあった。
それは結構辛い。
でも、ドキドキの原因が恋であれば、相手に意識されることは逆に嬉しくなる。
放送委員会の担当だった体育祭がまさかの中止
恋の予感がしていた
待ちに待った体育祭で起きた珍事。
私の高校は、改装工事を行っていた影響で校庭を使えず、近所の運動場を借りて体育祭をする予定になっていた。
しかし、前日に大雨が降ったため、運動場の土がぐちょぐちょ。
地面が使い物にならないので、その年は、体育祭の競技そのものが中止になってしまったのである。
結局、応援団が練習していた応援合戦だけを披露して終わった。
私は行事に燃えるタイプではなかったし、高校は進学校のせいか、みんな行事にはそこまでアツくなかったので、別に良かったのかもしれない。
放送委員の仕事も、応援合戦を録画するだけになって、とても楽だったw
録画にはそこまで人手がいらなかったので、私がカメラを構え、友達が手伝ってくれていた。
気になる彼は、暇になってしまったので、近くで普通に待機していたか、応援合戦を観ていた。
応援合戦のパフォーマーが面白いネタを披露した時、私と友達の笑い声が思いっきりカメラの音声に入った。
でも、動いてる時も、声を大きくして笑ってる時も、私はずっと後ろに立っていた彼の気配を意識してたんだ。
彼も同じ気持ちでいてくれたら嬉しいなぁ…と思って、ちらっと後ろを見てみたら、彼は手すりにもたれかかって下を向いていた。
恋なのかはわからないけど、ずっと彼のことが気になってて、私と同じ気持ちでいてほしかった。
でも、もし彼が私のことを何とも思ってないとしたら、一人だけ恋した様な気持ちになるのは馬鹿みたいなので、考えるのをやめようと思った。
気楽に恋もできない。
臆病でした…。
目が合う頻度を確認
人を好きになることは弱み、という感覚があった。
だから、自分だけ一方的に恋をすることは怖い。
昔から…今でもずっとそうかもしれない。
良いか悪いかは別として、その方が失敗しない。
恋心や好意が報われなかった場合の惨めさを回避したい気持ちの方が、恋のワクワクよりもずっと強かった。
高校時代の気になる彼(後の初彼)に対して、まず私は目が合う頻度を確認した。
例の体育祭の日は、アクシデントによって仕事量が減ったために、話すチャンスが減ってしまったし、目を合わすこともあまりなかった。
これまた守りの姿勢が強い私は、一日、彼がこっちを見てくれなかっただけでも、「興味を持たれていない」と判断し、その後は彼のことを考えない様に努めた。
しかし、その後に間もなく訪れた修学旅行の時に私の判断は揺らいだ。
初日の集合場所でたまたま彼と目が合った時、彼は慌てて目を逸らした(様に見えた)のである。
いずれにしても、相手がこちらに好意を持っていてくれた場合に嬉しいなら、こちらも好意を持ってる訳で…
この気持ちは、「恋」って呼んでいいのかな…?
恋なら恋と素直に受け入れた方が、心はずっと楽になる。
気になる人を好きだと確信する
理屈じゃなくて
急激に
自分が侵食されていく様な気がした
モノクロだった世界に色がついて
それまでの余計な友達関係の悩みは吹っ飛んで行った
恋することを否定していた
でも、恋をすんなりと受け入れたら、
自分も女の子でいていいんだ、可愛くなっていいんだって思える様になった
友達と話す時も、
同じ教室にいる彼を意識して言葉が変になっちゃうこともあった
私服校だったから、
自由にオシャレができて、それを初めて楽しいと思えた
全部、全部
恋の魔法。
何で好きになったのか、わからないけど、
この気持ちは恋なんだって確信した。
恋の日記に書いた文章
「みんな、ただの石ころ」
あの人の存在は、私の世界をがらりと変えることができる。
ある時にはダイヤモンドに。ある時には廃墟に…。ある時には石ころに。
正に魔法。
恋は人を変える。たった一人の人が、ある人を変えてしまう。
もし私もあの人の世界を大きく動かすことができるなら…それってすごいことだよね。
でも実際のところ、私のことを今まで好きになった人を、私は変えてしまったのかしら。
とてもとても想像がつかない。こんな私が…?たかが一人の人間が?
本当はみんな、ただの石ころなのに。