このレポートは、主婦の友社の書籍「自分探しの哲学」から、「初恋」の章を読んで書きました。
大学でのレポート
「自分探しの哲学」を読んで
テーマは初恋
日記を書いている時、恋の内容が書いてあるページと、他の内容が書いてあるページでは、文体から文字の形まで全く異なり、そのページを開けば読まなくても内容がわかってしまう程でした。
それ程までに、恋愛は人に大きな影響を与えるものであり、本に書いてあった様に、その人がそれまでに味わったことのない生の可能性や意味を初めて感じさせることができる「至高性」への欲望だと思います。
現在、交際している人との恋愛は初恋ではないのですが、「初恋」の章の内容は、今の恋人への気持ちにとてもよく当てはまるものでした。
むしろ、本当の初恋はまだまだ未熟なものであり、相手のことを素敵な人だと感じることはあっても、「何と素敵な人だろう」という驚きや、生のこの上ない欲望まで感じることはありませんでした。
私の小学校高学年で経験した遅い初恋でさえそうなのですから、幼稚園の頃等のもっと幼い頃に初恋を経験した人は、果たして相手にそれ程のロマンを見出していたのでしょうか。
しかし、初恋も、現在の恋も、初めは自分の心が急激に侵食されていく様で、自分でその感情の変化に驚き、必死で整理しようとしていました。
現在の恋人とお付き合いをする前の高校時代に、私は初めて、恋愛感情を深く考察しました。
私は生物学を学んでいる身なので、人の感情や行動について考える時も、生物学的な原因がどこかにあるのではないかとつい探してしまう傾向があります。
恋愛を生物学的な視点で観察すると、途中で考えるのが嫌になってしまいました。
動物が番いを作るのは子孫を残すためであり、人間が恋をするのも、生殖の道の第一歩としか考えることができなかったからです。
だから、恋愛感情は遺伝子が本人を魔法にかけた様なもので、謎が多くあり、何故その人を好きになったのかもわからない。
そもそも、美とは何なのか。
確かな美は果たして存在するのか。
考えれば考える程、頭の中で疑問が膨らみ、「世界には、輝くものなど本当は何一つないのかもしれない…」という冷めた結論に至りました。
けれども、私は一時的に冷めた結論を出したものの、やはり恋からは冷めることができませんでした。
もし、この世に「美」が存在しないのならば、人は恋をすることはなく、子孫を残すこともできないでしょう。
男性はもしかすると恋をしなくても生殖は可能なのかもしれませんが、女性は、相手にロマンを見出していなければエロス的対象としても考えることができない人が多くいます。
だから、人間が見出す「美」は、自然界からも必要とされているものなのです。
「美」とは、個人がそれぞれの対象にそれぞれの時間に見出すものなので、世の中には正確な「美」はないのかもしれないけれども、逆に全てのものが「美」になり得ると思います。
私が高校時代に出せた自分なりの答えはここまででした。
しかし、大学生になって「初恋」の章の講義を受けたことで、更に考えを深めることができました。
プラトンの「イデア論」は前から知っていましたが、恋人の美しさの中に「美のイデア」を想起するということは、それまであまり考えていなかったのです。
人はよく恋愛について、好みのタイプはあるかなどと話をすることがありますが、タイプなどない場合も沢山あると考えていました。
また、ある場合も、自分のタイプの中に勝手に相手を当てはめることは失礼な様な、後ろめたい感じがします。
授業中の討論で、「美しいから恋をするのか、恋するから美しいのか」という問いがありましたが、私は、その問いに対する答えは美のイデアが実在するか否かによって、どちらにもとらえることができると思いました。
美のイデアが無いものとすれば、恋した相手はどんな素質を持っていようと美しく、美のイデアがあるのならば、人は自覚などしなくても恋する相手に美のイデアを想起しているのでしょう。
前者は「恋するから美しい」、後者は「美しいから恋する」という捉え方です。
しかし、私は恋人の美しさはイデアから想起されたものではなく、その人のオリジナルの美であると信じたいので、イデア論をあまり信じたくないというのが、正直な気持ちです。
|